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レビュー:おまえうまそうだな

本当は昨日書くつもりでしたが、しっかり寝てしまいました。
レビュー久々。
ネタバレ注意。



おまえうまそうだな
(2010年 日)


ストーリー:
草食恐竜に育てられた肉食恐竜のハート。ひょんなことから草食恐竜の赤ちゃん「うまそう」から父親だと間違われてしまう。


感想:
まずこの映画を序盤(ハートの子ども時代)、中盤(ハートが追放されるまで)、終盤(残り)の3つに分けると僕の盛り上がり方としては順に大、小、中でした。特に中盤はうまそうとハートの交流が描かれているのですが、いかんせんあまり盛り上がりません。原作を読んでないので口出ししていいか分かりませんが、完全に構成のミスだと思います。時間の割き方のミスです。それは後ほど書くとして。
まず、序盤のハートの子ども時代。これは素晴らしい出来です。肉食恐竜としての自分に徐々に目覚めていくが、それに戸惑いながらもまだ肉食恐竜ということを信じ切っていないハート。ハートが自分と違うことを知っていながらも兄弟として付き合う兄の草食恐竜ライト。そしてその2匹を温かく見守る母恐竜(名前が分からん)。この3者の関係が非常に温かく、幸福に描かれています。また細かい脚本の持っていき方がうまく、肉食恐竜と草食恐竜の関係は危ないものに他ならないのですが、腕相撲ではハートよりもライトのほうが強かったり、ハートがライトに泣かされたり、ハートが肉をおしゃぶりにする描写はあっても肉を食う描写はなかったりと、肉食と草食という関係よりも兄と弟を意識させるような描き方で、食う食われるの危うさが和らいでいると感じました。そして最後にそれらをぶち壊す出来事がありますが、これもいいです。ライトを守るために敵の肉を食い、自分は肉食なんだと完全に悟ってしまう。そしてライトにも襲いかかって食おうとしてしまう。ここで「どうしよう・・・お肉がおいしいよ・・・」だったかセリフがありましたが、どうしようという戸惑いが真っ先にでてしまうハートの心情がよく出た名セリフだと思います。ここまで序盤。

で、中盤なんですが、僕的はここが問題です。映画の第2の主役とも言える「うまそう」が出てくるのですが、今回のような3部構成(僕が勝手に作ったんですが)ではハートとうまそうの交流がうまく描けないと思います。序盤のハートの子ども時代と同じか、それよりもゆったりと描くべきなのにずいぶん急ぎ足に感じられました。ここでの急ぎ足は非常に惜しいです。結果、明らかに終盤になるとうまそうが脇役になり下がっているように感じるし、ハートとうまそうが過ごしてきた時間というものが希薄に思われかねません。特に時間が薄く感じられるのは僕にとっては痛かったです。終盤のセリフに響くので。終盤の盛り上がりが「中」なのもそれが原因だとおもいます。中盤のシーンで良かったのはやはり最後のうまそうを助けるシーンでしょうね。自分の口の中にうまそうを入れて戦うハート(かなりやりすぎだけど)。それでも普通に喋れるんですが、バクー(シマのボスみたいな恐竜。ハートの父?)に追放を宣言されたときに、うまそうがいることがばれないように口を開かず無言で立ち去るところが良かったです。ここまで中盤。

終盤は詰め込んでるなーって感じ。まず海の恐竜のペロペロが出てきて、ゴンザ(ライバル、ハートに恨みがある)との対決、火山が噴火、母とライトとの再会、バクーとの対決、とかなり詰め込まれてます。とりあえずペロペロのエピソードは何故あるのか分からないので(intermission、あるいは中盤と後半の繋ぎでしょうか)、カットできるとは思います。そのぶんの時間でゴンザに頑張って欲しかったし、母との再会ももう少し感動的にできたと思います。バクーとの対決シーンはいるようないらないような・・・ いや、要るか。子が父に挑むっていうシーンはここでは必要か。実は子と父のシーンがゴンザとの対決のときにもあり、「ハートはお前の父親じゃない」と暴露するゴンザに対し「そんなの知ってる。いつまでも子どもじゃないんだぞ。」と返すうまそう。ゴンザは子ども時代のハートに対しても「お前は肉食なんだ」と言いましたが当時のハートはそれに切り返せなかった訳で。まだまだ子どもと思っていたうまそうがいつの間にか成長し、子どものころの自分よりもたくましくなっている姿に気づくハートのこのシーンがすごく感動的です。その後のゴンザの「つまんねぇ」のセリフも込みで。噴火の際に母親を助けに行こうとするときにもハートはうまそうを口に入れ「お前いつの間に大きくなったんだ」と言っています。こういう父と子なシーンはすごくいいですよね。ただやっぱり中盤が原因でね・・・
エンディングはベタなのでコメントしません、とも言えず。最後に空にたまご山(噴火した火山。巨大な卵が火口にはまっている)のたまごが飛んでるシーン。あれ完全に隕石だよね。なんか急に恐ろしいその後が想像つくラストでした。子ども達には何に見えるのだろうか・・・

話の内容以外に全体を通して色合いがきれいです。ペロペロのシーンとか森とか。ハートの母が森で木の実に囲まれる一枚絵のシーンが特にきれいでした。恐竜もかわいい(当然)。血の描写がほぼ無いのも子ども向きで作ったからでしょうね。肉は食うシーンはたくさんありますが。あと母親とライトが属する種類の恐竜達(マイアサウラ)が2足歩行なのに少し笑いました。当たり前のように立ってやがる・・・


中盤が描きたりないので子ども向き映画を抜けきらない感じですが、序盤と終盤に関しては出来がいいので大人も見るに耐えられる映画のはず。僕はこういう父と息子もの(加えて母と息子もある)は弱いので、とてもいい映画でした。

かなり書いたなー


書いた人:times
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2012/06/07(木) 04:05:59 | | edit
絶太 #6GED37Aw
おまえうまそうだなの映画には突っ込みたくなりました。

原作絵本は実際に読んでないので何とも言えませんが、映画のプロデューサーの「とにかく女の人が泣ける話」という要望や企画や宣伝の「心温まる」路線の強調は無茶だと思いました。野生の恐竜の話を「心温まる」「女の人が泣ける」路線を全面に押し出そうとした映画の企画は無理があったと思います。そして、そういう意図を受け入れて作るとなると、どうしても中途半端な出来になってしまうのでは?、と思います。

仮にも恐竜世界で捕食者と非捕食者の問題も出てくる映画で、ショートアニメや漫画でもないのに「女の人が泣ける」「心温まる」路線ばかり与えられて、それを受け入れながら作るスタッフも苦労したのでは?と思ったのも事実です。

作品にある要素の1つとしては良いのですがね。例えば恐竜物ならハードな世界があってその中で、生まれる愛や友情が良いのです。なのでやたら、「女の人が泣ける」「心温まる」ばかり強調するとハードな世界の中で生まれる愛や友情の良さも半減しますし、作品としても抑揚のないものになると思います。子供だって場合によってはシビアだし媚びられるのを嫌になる事はあると思います。子供向けの作品や書籍でも子供にわかるように伝えた、ハードな話のやつもあります。

おまえうまそうだなのスタッフは「捕食する側とされる側のテーマの話だったから、やっぱりそこから逃げて作る事は出来ない」「自然描写も含めて、ちょっとリアルに世界観を作らなくてはいけない」「人の生き死についてはあまり嘘をついちゃいけないと思う」 と寧ろ客観的とも言える発言”も”していました。お母さん恐竜がまた子供を生んだ所についても「お母さんにも普通の女性としての性がある」「生々しい感じが出るといいなとは思っていました。」と発言していました。
勿論、媒体や企画の都合もあって、表現規制の制約は強かったのでしょうがその枠の中で表現しようとしたのかもしれません。
そのままリアルにやっても、客が見てくれなければ意味ないですからねえ。この映画の媒体はどう見てもファミリー層ですからこの層でも見れる描写じゃないと無理なのでしょうね。
2011年アニメージュ8月号の「この人に聞きたい」というインタビューで発言していました。インタビューの画像はここに載せています。http://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493
2011年アニメージュ8月号はAMAZONで中古販売してるかもしれません。

上述のインタビューの発言を見て、スタッフと上層部とで溝があったんじゃないかと勘ぐってしまいました。考えの違いで。
何故なら、あれだけ作品紹介や予告でも触れていて、映画の本来の主軸だと思われるハートフル関係についてスタッフはそんなに語っていませんでした。寧ろありがちなハートウォーミング要素を否定したり、エンターテイメント性についての発言もありました。
プロデューサーからの「泣ける話を」の要求についても「人が死ぬか別れるかと言う小手先のテクニックで泣かせたくない」って言ってるんであって”可哀想な話”が嫌だと言ったわけではありません。
実際、キャラが死ぬシーンで泣かせるより虚しさとか冷徹さを表してる漫画アニメドラマはあります。

しかし、企画段階で何か引っかかるものを感じてもそれが戦略的には有利になる可能性もあるので難しいです。ファミリー映画とか其処らのお綺麗な感動が好きな女性を狙ったものだと「心温まる~」って材料がつく事多いと思います。子供はあまり媚びられると嫌になる事もあるのですが、親受けは良かったりする事もあります。「おまえうまそうだな」もああいう材料があったから、最近でも図書館だか会館だかで上映会をやれたのかもしれません。
2012/10/27(土) 04:21:12 | URL | edit
AMA #a6iLSFRY
この記事やコメントを読んで割り込んですみません。

映画は少なくとも企画というか販売サイドは本当に大切なものよりもただキャッチーさ(とにかくほのぼの、心温まる)を優先したかったのかもしれません。例え原作では綺麗事ばかりじゃなかったとしてもアニメや映画だとそういう上辺のキャッチーさばかり優先される風潮があります。特に幼稚園児や低学年がメインターゲットに多いと思います。ただ、スタッフとしてはそれは本意でなかったのかもしれません。上述のスタッフのインタビューで、予告とか紹介であれほど触れていた「心温まる」の部分についてあまり語ってなかったという事を考えると。

例え子供がシビアなものを受け入れたとしても親の方が勝手に「子供向けじゃない」と判断されることもありますからねえ。昨今は特に少しでも過激なものがあると文句言われそうで大変だとは思いましたが。
2012/11/28(水) 01:13:04 | URL | edit
この記事にもコメント
レゴン #Nwu9xzi.
2014年5月27日 火曜日 午前2:55にメールで送ったのと同じ意見です。


映画「おまえうまそうだな」の企画、キャラデザ、キャスティング、起用、マイアサウラの母親についての意見なので長くなります。

■企画

絵本や童話が人気だからって何でも映画化しようなんて
企画段階で無理があったようにも思えます。
2005年に上映された「あらしのよるに」なんかは
1冊ごとの完結でなく数巻も話が続いたので良かったと思います。
しかも「あらしのよるに」は原作者も脚本に参加出来てたので幸運だったでしょう。

それに比べて「おまえうまそうだな」は1冊ごとの完結の絵本です。
元々繋がってない複数の話をまとめるというだけでも無理があるのに、与えられた尺に合わせて伸ばしても原作ファンは難色示すでしょう。
しかも、こちらは「あらしのよるに」と違って原作者は脚本に参加してません。
ホンの最低限の事しか注文せず、絵本と違うものを頼んでいました。
http://mi-te.jp/contents/cafe/1-9-742/のインタビューで原作と違う物を頼んだ件に触れています。


推測かつ乱暴 な言い方でになりますが、おそらく企画側は「人気絵本のネームバリュー、親子の絆という部分に目を付けた」という、浅はかな考えだったんじゃないかと思います。

情報段階から「安易に絵本のネームバリュー、親子愛に目を付けてそう」と思ってました。映画版の絵柄もああいう路線にしろってスタッフ側に命令したのかもしれませんね。

まあスタッフ達もスタッフ達で、企画段階にあったかどうか怪しいアクションだか活劇もやりたいと思ってたそうですが。
(ただ、アクションだか活劇もやりたい要望は、絵本のネームバリューや親子愛を利用したいか否かとは、あまり関係なさそうなのでまた別の話だと思います。)

■キャラデザ方面

ガラッと変わる例もありますがこの映画に関しては、
「本当はもっと違うデザインでやろうと思ってたけどポケモンみたいにしろと頼まれて仕方なくやった」という可能性も必ずしも否定しきれない。

「丸っこいキャラだけど格好良いアクションをやる」的な発言はhttp://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493を参照。
アニメージュ2011年8月号の、この人に話を聞きたい。P86~89の中の一部です。見れなかったすみません

こういった意見しか知らないのですが、これだけだと本当に監督(下手すりゃキャラデザイナーも)の意向であのデザインになったのかどうかわかりません。

「丸っこいキャラだけど格好良いアクションをやる」的な発言は、こんなキャラになったのは仕方ないがが、それでもアクションをやってやる」という意地なのかもしれませんし。

と思いました。

■キャスティング

キャスティングも子供店長だの、原田知世だのを起用すれば、子連れ層狙えるだろうという浅はかな考えだったのではないでしょうか?
ただ、キャスティングはスポンサー、プロデューサー、監督、音響監督の誰が決めたのかは分からない状態です。
原田知世については、監督曰く「自前にイメージしてなかった」そうですが。
まあアニメ映画にありがちな芸能人のキャスティングは
宣伝費とかの事情があるのかもしれませんがハッキリした事情は謎です。

■起用理由

「大山ドラえもん映画ワンニャンの映画のカーチェイスパートの部分を担当して評価高いらしく、しかも当の本人もアクション物もやりたいと言ったらしいスタッフ」を、

何故、映画版おまえうまそうだなのような当たり障りのないほのぼのアニメ映画の監督に起用したのは一体何が理由だったのかと疑問があります。初めての映画監督作品でこれですか、と思いました。

アクション云々はhttp://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493でも述べてました。
(アニメージュ2011年8月号の、この人に話を聞きたい。P86~89の中の一部です。見れなかったすみません)

自分は、アニメ業界の事は知りませんが

もし「アクション関係で評価されてる&本人もそういう事をやりたいと言った」って事が本当ならば、
何故当たり障りのないほのぼのアニメ映画の監督にしたのか不明なんです。


■マイアサウラの母親
この母親には 遠回しにスタッフ陣も呆れてたのでしょうか?
監督の人が「肉食だとわかっていながら平気で育てちゃう浮世離れした」と言い方もしてました。
http://photozou.jp/photo/photo_only/2860818/156276493を参照。
(アニメージュ2011年8月号の、この人に話を聞きたい。P86~89の中の一部です。見れなかったすみません)

もしかしたらスタッフ起用前から、母親の浮世離れしたキャラが決まっててそれを見たスタッフ陣が呆れたとか。
 
直接貶してるわけではありませんが(直接言うのはマズイでしょう)、「浮世離れ」「平気で」ってのはあまり良い印象がないです。 監督初めとするスタッフ陣も内心、苦笑いか失笑してたのでしょうかね?

映画版に結構重要なキャラとして、バクー(肉食の王者)というオリジナルキャラも出していましたし。

しかしマイアサウラの母親の言動の「責任感の無さ」が全く薄れる事はありませんでした。
マイアサウラの母親が出る原作「あなたをずっとずっとあいしてる」も見ましたが、
映画版は宮西達也さんの意向もあって原作と違う物を作る事になり、
当然、マイアサウラの母親の言動にしても原作にはないシーンもあるのです。

映画のマイアサウラの母親の言動は

・草食恐竜の村長が
「肉食かもしれん、殺されるのが嫌なら捨ててこい」みたいな事を言ったが、
それに対してマイアサウラの母親は「こんな小さな子を」という理由で
平気で肉食恐竜を育てる。

・肉食恐竜の子(ハート)と草食恐竜の子(ライト)を同じように育てるが、
マイアサウラの母親はハートが肉食恐竜だと知っていながら、
ライトの身は全く気にす る描写が無い。
ライトが食べられるかもしれないという事へのフォローが無い。
終盤で肉食恐竜の王者(バクー)に「肉食は 肉を食べなきゃ生きて いけない」と
言われても、マイアサウラの母親は「例え食べられても」と言うが、
ライトの事には触れない。

・そのハートを育てる流れにしても、赤い実やフルーツの実しか食べさせない。
母親として育てるなら当然子供が食べなければダメな物にも気を使う物だが、
マイアサウラの母親はそういうシーンが無い。
マイアサウラの母親はハートが肉食恐竜だと知っていながら肉は食べさせない。
肉食恐竜は肉が大事なエサなのです。決して赤い実だけでは成立しないにも関わらず。

・途中でハートが肉食だと自覚して群れを去った後、
草食恐竜の村長は「身に染みてわかっただろう」と言うが、
マイアサウラの母親は「ただハートがいなくなってションボリするだけ」で他は反省し ない。

・・・etc

このように述べてもマイアサウラの母親の言動に「責任感の無さ」がはっきりします。。
絵本や童話を長編アニメ化する以上、多少なりとも改変や追加は付き物ですが
映画版「おまえうまそうだな」は痒い所に手が届くどころか、
却って「母親の責任感のなさが浮き彫り」になった感じがあります。
映画オリジナルの草食恐竜の村長、肉食恐竜の王者(バクー)に何か言わせたのに
フォローが効いてないのはどうしようもありません。
何か言わせた事が、却って裏目に出てしまった所もあるのかもしれませんがね。
2014/05/27(火) 20:53:07 | URL | edit
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