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『アメリカの夜』レビュー

 映研の新歓も残すところあと一回。今年もたくさん入部してくれるといいのですが……

 第十二回のレビューは『アメリカの夜』(フランソワ・トリュフォー、1973年、116分)。トリュフォーは、ゴダールに並ぶ有名なフランスの映画監督です、が、桜のツタヤには本作ぐらいしか置いてないんじゃないでしょうか? 『大人は判ってくれない』とか観たいなあ……

 ストーリーは以下。
 フランスのリビエラで撮影される『パメラを紹介します』という映画。結婚した若い女が、夫の父親と恋に落ちてしまうというストーリーだ。しかし、映画製作は一筋縄ではないかない。ノイローゼ気味の主演女優、セリフが覚えられなくなってしまった大女優、スクリプトガールに夢中の若手俳優、妊娠がバレた新人女優、思い通りに動かない猫、迫りくる期限……それをなんとかしようと奮闘するのは監督のフェラン(フランソワ・トリュフォー)。映画への愛に憑りつかれた人々が織りなす、様々な騒動の連続。
 はたして、映画は無事に完成するのか。――

 トリュフォーが経験してきた映画製作のことすべてが詰まっているような映画です。これを観るだけで映画がどのように撮影されているのかがよくわかります。トリュフォーは上記したようにそのまま監督役で出演、そのほか、映画の中で映画に出ているという二重構造の中で、役者たちはとても自然に演技しているので、ほんとうに映画の舞台裏をのぞいている気分になります。
 さて、『アメリカの夜』というタイトルですが、アメリカは一切出てきません。では「アメリカの夜」とは何かというと、カメラに細工をすることによって昼間のうちに夜のシーンの撮影をする技法のことを言うそうです。映画というものがいわば嘘の産物であること、あくまでもフィクションであることを上手に表現しています。昼を夜にしてしまう映画、張りぼてのセットを本物の建物にしてしまう映画、生きている人を死者にしてしまう映画、他人同士を恋人に、友達に、敵に、家族にしてしまう映画(本作をみれば、映画の「嘘」のつきかたの多様さに眼を見張ることでしょう)。劇中、こんなセリフがあります。「面白い生活ね。皆が一つのところに集まって仕事。愛しあい、やっと慣れた頃、とたんに皆が消え去る」。嘘で出来上がるのが映画ですが、しかし、登場人物はみんな、そんな嘘っぱちの映画への愛に貫かれて、それを共通項として関係しあうのです。はかないような、切ないような、そんな気持ちがとてもよく表現されているセリフだと思います。
 本作は、日本で上映される際に、「映画に愛をこめて」という副題を頭につけたそうで、DVDでもそのようになっています。つまり、『映画に愛をこめて アメリカの夜』というわけです。少しキザですが、とても素敵な副題だと思います。映画研究部にぴったりですね。映画というのは「嘘」の産物ですが、観客はそれを「本物」として受け取ることもできるわけで。映画を愛するというのはそういうことなんじゃないでしょうか。

 いくつかセリフを引用。
「俳優は傷つきやすい」
「さよう、誰しも裁かれるのは恐ろしい。だがあなた方は絶えず裁かれている。演技だけでなく私生活でも」
「その通り、どう思われているかを心配する。アーティストの宿命ですな。モーツァルトも子供の時、こう言った、『演奏の前に、愛していると言って』と。」
「あなた方は、他の職業の人よりもキスしあうことが多いですね」
「そうです。絶えずキス。握手は友情の表現と言われますが、我々は『愛』を確かめ合っているのです。甘い言葉の交換こそ、我々の糧です」

「恐ろしいことに気づいた。軽蔑している女を、夢中で愛せるという事実だ。彼女のすべてを軽蔑しているのに」
「誰にそんなことが言えるの? 間違いだったとしても、愛は恥ではないわ。愛している女を軽蔑するのは、自分を軽蔑することよ」
「なるほど。……僕の恋愛は失敗の連続だ。女はまったく魔物だよ」
「女も男も生きているだけ。それが素晴らしいのよ」
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