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『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』レビュー

 二十四回目のレビューは『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(押井守、1995年、83分)についてです。押井版「攻殻機動隊」の一作目にあたります。「攻殻機動隊」は何度もTVアニメ化やアニメ映画化しているのですが、本作が一番有名なのではないでしょうか。押井守の代表作であり、日本SFアニメの最高峰でもあります。

 ストーリーは以下。
 「企業のネットが星を被い電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来」。
 超法規特殊部隊である内務省公安9課に所属する草薙素子(声、田中敦子)は、認定プログラマーを強引に国外亡命させようとする外交官の暗殺任務を遂行する。一年後、外務大臣の通訳の電脳がハッキングされる事件が起こる。他人の電脳をゴーストハックし、人形のように操るハッカー、通称「人形使い」の犯行の可能性が浮上し、9課の荒巻大輔(声、大木民夫)、草薙素子、バトー(声、大塚明夫)、トグサ(声、山寺宏一)、イシカワ(声、仲野裕)らは捜査を行なうが、容疑者として逮捕する人々はいずれもゴーストハックされたことによって操られていただけであった。はたして、「人形使い」の正体を掴むことができるのか――

 「ゴースト」って何?と初見では思いますが、いわゆる「霊魂」のようなものでしょう(作品内でもフワッとした感じで使われています)。生きた身体と死体をわかつもの、人形と人間をわかつもの。「ゴーストハック」とは、そうした人間の魂のようなものをハッキングによって支配し、偽の記憶を植え付けたり、行動を操ったりすることをいいます。
 さて草薙素子は脳を残してほぼ全身を義体化していまして、そんな彼女は本当に「人間」なのか、ゴーストは本当に機械と人間をわかつのかという問題をはじめ、記憶と自己の問題など、哲学的に興味深い問題を多く含んだ作品になっています。AIや医療技術が進歩しつづければしつづけるほど、この映画は現代性をもったものとして迫ってくるのです。素子のセリフ、「人間が人間である為の部品はけっして少なくない様に、自分が自分である為には、驚くほど多くのものが必要なのよ。他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった時の記憶、未来の予感、それだけじゃないわ。あたしの電脳がアクセス出来る膨大な情報やネットの広がり、それら全てがあたしの一部であり、あたしという意識そのものを生み出し、そして同時にあたしをある限界に制約し続ける」。
 82分という短い時間なのですが、セリフは少なめで、ストーリーには直接かかわってこないシーンを割と多く挿入したり、戦闘シーンを派手にしないなどの演出によって、独特の空気感をもった映画になっています。なかなかアニメではできない芸当ですね。引き算の美学的な。
 続編は『イノセンス』(2004年、100分)です。「攻殻機動隊」がタイトルに入っていないので注意です。
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2018
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『マルサの女』、『マルサの女2』レビュー

 第二十二回目のレビューは『マルサの女』(伊丹十三、1987年、127分)についてです。映研としては珍しく日曜日の今日に上映会をしまして、本作と続編の連続上映をしてみましたが、意外と疲れますね。
 さてさて、まず伊丹十三とは、本の装丁などを手掛ける商業デザイナーであり、CMクリエイターであり、『家族ゲーム』(森田芳光、1983年、106分)や『細雪』(市川崑、1983年、140分)などで重要な役を演ずる俳優であり、エッセイストであり、そして映画監督である、というふうに多才な人。ちなみに父は同じく映画監督であり作家でもあった伊丹万作、親友でかつ妹の夫なのがノーベル賞作家の大江健三郎です。さらに伊丹映画のほとんどで主演を張る宮本信子は彼の二番目の妻です。ところで本人は1997年に突然マンションの上から墜落死。これについてはいろいろな疑惑があるそうですが、なんにせよもう少し映画を撮ってほしかった……。
 タイトルにある「マルサ」とは、国税庁のもとにある国税局、その査察部のこと。全国の国税局のうち、東京国税局、大阪国税局、名古屋国税局にしかない部署であり、巨額脱税事件を主に取り扱います。これを見れば金のこと、税金のこと、社会のこと、いろいろなことがわかります。

 ストーリーは以下。
 複数のラブホテルを経営する実業家の権藤英樹(山崎努)は、ラブホテルの利用客が領収書をもらう客がほとんどないことをよいことに売上の一部を隠し、その裏金をさまざまな手法で洗浄しては私服を肥やしている、いわば巨額脱税者。
 港町税務署の敏腕署員でシングルマザーの板倉亮子(宮本信子)は、老夫婦の経営する商店の売上計上漏れを指摘したり、パチンコ店の所得隠しを巧妙な手法で暴いたりする中で、権藤が経営するラブホテルに脱税のにおいを嗅ぎつけるが、強制調査を行なえない一税務署員という立場の限界や、権藤の巧妙な手法を前にして、脱税を暴くことができないでいた。月日が経ち、頑張りが認められて東京国税局査察部(通称「マルサ」)に引き抜かれた彼女は、そこでも早々に手柄をあげ、仲間からの信頼を得る。ある日、権藤に捨てられた愛人剣持和江からマルサに権藤の脱税に関するタレコミがあり、板倉たちは権藤に対して徹底的な内偵を行なう。その中で見えてきたのは暴力団、政治家、銀行が絡んだ大型脱税であった。はたして、板倉は、そしてマルサは、その正体を暴くことができるのか。――

 たかが金と思うなかれ。金を前にした人間の欲望のすさまじさというのをこの映画は教えてくれます。金を手に入れる、あるいは自分の金を守るためには法律の穴を徹底的に探し、いざとなっては恥をかくことも受け容れ、誇りをも投げ捨てる人々、自分の懐に入るわけでもない金を執拗なまでに追うマルサおよび税務署の人々、この攻防はとても白熱し、観る者をひきつける一方で、ブラックな笑いも誘います。つまり、この上ないほど面白いのです。「映画ってほんとに面白いなあ」としみじみ思います。
 素晴らしいのはやはり主演二人の演技、特に山崎努の演技。権藤は大胆に欲望を発露する人間である一方、息子想いで、敵であるはずの板倉とも息が合うという、複雑なキャラクターなのですが、それをとても上手く演じています。あとは音楽がよいです。特にメインテーマの耳に残る不気味なメロディが、緊張と興奮を高めてくれます。

 さて、いくつかセリフを。
(板倉の追求を泣いてやり過ごした店主に対して)税理士「なんです、芝居ですか? 呆れたなあ」
パチンコ屋の店主「芝居じゃない。ほんとに泣いたんだ。一泣きで百万でも二百万でも助かるんだったら、いくらでも泣いてやる!」

権藤「(……)女房は死んじゃった。だからこの光子ってのは、内縁だな。まぁもう少し情が移ってきたら結婚して……ほいでね板倉さん、本当に愛情わいて、財産をわけてやりたくなったらどうすると思う?」
板倉「さあ……」
権藤「離婚するんだよ、離婚。離婚して慰謝料ガバッと払うの。慰謝料、税金かかんないから、ね。そうやって財産を彼女に移しといて、また彼女と結婚する。おれ、女を愛したらそこまでやる男だよ」
板倉「財産移した途端に彼女が逃げちゃう可能性もありますね」

権藤「で、何が知りたいって?」
花村統括官(津川雅彦)「どうしたら金貯まるか……でももういいよ」
権藤「いや、せっかくだから教えてあげるよ。金貯めようと思ったらね、花村さん、使わないことだよ。あんたは葬式がありゃ一万、結婚式がありゃ二万と出すでしょう。そんなもの出してたら金は残らない。百万あったって使えば残らない。十万しかなくても使わなきゃ丸々十万残るんだからね。……あんた今、ポタポタ落ちてくる水の下にコップおいて、水貯めてるとするわね。あんた、喉が渇いたからって、まだ半分しか貯まってないのに飲んじゃうだろ? これ最低だね。なみなみ一杯になるのを待って、それでも飲んじゃダメだよ。一杯になって、溢れて、垂れてくるやつ、これを、……舐めて、我慢するの。そうすりゃコップ一杯の水は……」


 さて、第二十三回目のレビューは続編『マルサの女2』(伊丹十三、1988年、127分)についてです。前作は「マルサの女」と言いながら前半はマルサじゃなかったのですが、今回は一本丸々マルサ。ちょうど三十年前の1988年というバブル景気真只中の日本で問題になった、地価高騰と暴力団による「地上げ」、それに政財界を絡めていて、取り扱う金額もスケールも前作をはるかに上回ります。続編であり、ストーリーの規模を大きくしながら、しっかりと面白いという非常に稀有な作品です。

 ストーリーは以下。
 バブル期の東京。地上げを行なう暴力団同士の抗争を尻目に、オフィスビル建設ラッシュに乗っかり、ガッポリ儲けようと、大物代議士漆原(中村竹弥)と建設会社と商社と銀行は互いに手を組む。漆原は子分格の代議士猿渡(小松方正)に地上げを指示し、猿渡はこれを宗教法人「天の道教団」管長の鬼沢(三國連太郎)に任せる。鬼沢は、表は宗教家でありながら、裏では風俗業などの数々の商売を行なう商売人であり、また暴力団を操って地上げを繰り広げているのだった。そしてそこらで得た利益を宗教法人の収入とすることで課税を免れ(宗教法人の収入は非課税)、私服を肥やしているのだった。
 板倉亮子は鬼沢の大型脱税の手がかりをつかもうと、隠れ蓑である「天の道教団」に身分を偽装して潜入調査を行なうが、信者の妨害に遭い失敗、しかも調査の違法性を指摘されて厳重注意を受ける。しかし、新たにマルサに加わった東大出のエリート三島(増岡徹)の協力やふたたびの教団への潜入などで少しずつ手がかりを集めていく。同時に、マルサの仲間も鬼沢の脱税の証拠を固め、ようやくガサ入れが行なわれ、鬼沢の取り調べが行なわれるのだが、彼は頑として口を割らない。はたして、板倉は鬼沢の脱税を暴くことができるのか。――

 今作は地上げがテーマの一つでもあり、暴力団が大いに関わってきます。暴力団による民事介入暴力を描いた『ミンボーの女』(1992年、123分)でもそうなのですが、伊丹十三が描く暴力団はほとんど銃や刀などを使わず、創意工夫して効果的に脅しを行なう、ある意味で一番怖い存在です。ヤクザ映画のヤクザより現実味があるというかなんというか。また、今作では宗教法人の金銭面についても言及しています。伊丹十三のタブーを怖れない鮮烈な切り口は三十年後の今もなお輝きを失っていません。ほんとに惜しい人を亡くしたものです。
 前作の敵役である山崎努は宮本信子とよく調和していたのですが、今作の敵役の三國連太郎は鬼気迫る演技で、一人だけ際だっています。金への執着も欲望もすさまじい役柄ゆえというのもあるのでしょうが。ラストの笑い声のこだまにはブルルと震えてしまいます。

 さて、今作もセリフをいくつか。
鬼沢「地上げのコツはただ二つ、わかるか? 愛情と脅しだ。(……)脅しについてはお前たち専門家なんだから、今更説明することはないだろう。問題は愛情だ。愛情とは何か。相手の家庭の状況を把握してトコトン面倒を見ること、たとえば、息子が大学に入れなかった、よし! 学長を脅かしてでもなんとしても受からしてやろう、これが愛情なんだ。愛情と脅し、まあいわば、努力と創意工夫だ」

鬼沢「おれは国のために地上げやってるんだよ! 東京が国際的な情報都市として世界の金融センターになるためにはな、世界中の企業を東京に集めなきゃならねえんだよ。そのためには、オフィス面積が絶対的に不足してるんだ。その不足をうめるために高層ビルを建てるしかねえだろ! ……じゃあ、高層ビルどこへ建てるんだぁ? そんな土地どこにある? おい! どこにあるんだよ! 法律でも改正して私有地でも取り上げるか、んなことはできねえよな。だからおれたちはやってるんだよ! 政府や大企業のお偉いさんたちがな、自分の手を汚すか? 汚すわきゃねえだろう! 日本の改革のためにはな、誰かが汚ねえ仕事を引きうけなけりゃならねえんだよ! おれたちやらなかったら、東京なんてのはすぐに香港にその地位を奪われちまう。てめぇらそれでいいのか? おい? 日本がどうなっても構わねえってのか!」
2018
0602
Sat
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6月の予定

以下、6月の予定になります。

6月5日(火) 休み
6月8日(金) 文サ館映研ブースにて、雙峰祭についての話し合い。
6月10日(日) 2A409 特別上映会(時間と映画は後日お知らせします)
6月12日(火) 2C403 『最高の花婿』(フィリップ・ドゥ・ショーヴロン、2014年、97分)
※ミーティングで『ヴェルヌイユ家の結婚狂騒曲』として挙がっていた映画になります。
6月15日(金) 3A304 『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(アンディ・ムスキエティ、2017年、135分)
6月19日(火) 3A304 『ゲット・アウト』(ジョーダン・ピール、2017年、103分)
6月22日(金) 休み
6月26日(火) 3A304 『菊次郎の夏』(北野武、1999年、121分)
6月29日(金) 3A204 『パッション』(メル・ギブソン、2004年、127分)
※残酷な描写があるとのことです。

今月もよい映画に出会えますように。
2018
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『狂い咲きサンダーロード』レビュー

 第二十一回目のレビューは暴走族映画『狂い咲きサンダーロード』(石井聰亙[現、石井岳龍]、1980年、98分)についてです。なにかのきっかけでタイトルを見た瞬間にビビッときてすぐに観た映画です。英題は”Crazy Thunder Road”。カッコよすぎますね。つくばには今時珍しくバイクで暴走している人たちがいるので、ちょうどよいのではないでしょうか。
 監督の石井聰亙は日本大学藝術学部の映画学科出身なんですが、本作は卒業制作として撮影されたようで、いわば自主製作映画。しかし、完成度の高さゆえに配給会社によって全国で配給され、シネマ旬報ベスト・テンでは第九位にランクインするという離れ業をやってのけた映画なのです。自主製作映画ということを知った上で見ると、どっから金や機材が出ているんだろうと不思議になります。バイクやら車やらがバンバン出てきて、小規模ながら爆発したり、ガラス割ったり、メチャメチャに壊したり……とにかく今の時代じゃ撮影できないことは確かです。


 ストーリーは以下。
 日本のどこかにある街「サンダーロード」。そこではいくつかの暴走族がしのぎを削っていたが、新たに施行された新道交法によって警察の取り締まりが厳しくなることを懸念したそれぞれの族の幹部たちは、平和的な協定を結ぶために会合を開く。しかし、そうした進みゆきに納得しない「魔墓呂死」のジン(山田辰夫)は、魔墓呂死特攻隊を率いて会合を襲撃し、幹部たちに大怪我を負わせる。それでもなお協定は結ばれ、暴走族の連合「エルボー連合」が結成、「魔墓呂死」もそれに吸収されるが、反対するジンは自分が新たに「魔墓呂死」のリーダーになると宣言し、幾人かを連れて独立する。「魔墓呂死」の初代リーダーで、今はスーパー右翼の「国防挺身隊」隊長のタケシ(小林稔侍)の説得もはねのけ、暴走行為を続けるジンたちを、「エルボー連合」は無視するわけにはいかない。ある日、「魔墓呂死」は襲撃され、メンバーの一人であるユキオ(大池雅光)が連れ去られてしまう。ユキオを取り返すために戦いに挑もうとするジンだったが、連合全体を相手にすることに恐れをなしてメンバーが逃げ出す事態が起こり、結局残ったのは四人だけ。懸命に戦うジンたちだったが、多勢に無勢、奮闘むなしくユキオは殺されてしまう。そんな中、突如「国防挺身隊」が現われて戦いを仲裁し、ジンたちは一命をとりとめ、「国防挺身隊」に身柄を引き取られる。ユキオを死なせてしまった怒りをぶつけ、最初は熱心に隊の訓練に参加するジンだったが、次第に不満をため、ついには隊を脱け出し、ふたたび暴走行為に耽る。しかし、隊の庇護を失ったジンに、またも連合の魔の手が忍び寄るのだった。はたして、ジンは「サンダーロード」で自由を手にすることができるのか。――


 画質は悪いですし、演技は洗練されていないですし(山田辰夫の演技は魂がこもっていますが)、ところどころチープなところやネタ要素がありますし、演出も粗削りですが、そうした欠点(?)を補ってあまりあるほど、この映画にはスピードと力と情熱が溢れています。そうしたスピードと力と情熱に身を任せてしまえば、バトルスーツを着て戦う最終決戦のシーンとかは「カッケぇ」しか言えなくなります。タイトルバックも本当にカッコよくて、ここと最終決戦はめちゃめちゃ繰り返して観ました。
 また、特筆すべきなのは音楽。泉谷しげるや頭脳警察のパンタ、THE MODSらの楽曲が常に流れていて、それがとても映像とあっていて、映画のもつスピードと力を増大させます。特に泉谷しげるの「電光石火に銀の靴」(タイトルバックと最終決戦で流れます)と、「翼なき野郎ども」(エンディングテーマ)が好きでした。
 自由とは何か、自らを貫き通そうとするジンの生き様をぜひ眼に焼き付けてください。