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2018
0330
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『お茶漬の味』レビュー

 そろそろ桜も満開でしょうか。三月ももう終わってしまいます。

 さて第十一回目のレビューは『お茶漬の味』(小津安二郎、1952年、115分)です。黒澤明、溝口健二と並んで世界でも高い評価を受けている映画監督です。ダイナミックな黒澤映画に比べると、静かでミニマムな映画が多いです。しかし、その分演出や演技に細心の注意を払わなければいけないのでしょうね。ちなみに、中央図書館の視聴覚コーナーには小津安二郎のDVDコレクションが置いてあります。貸出はしていないと思いますが、館内で観る分には無料で観放題! 

 ストーリーは以下。
 妙子(木暮実千代)は、夫の茂吉(佐分利信)を小馬鹿にしている節があって、嘘をついて友達と修善寺の温泉に遊びに行くなど、好き勝手している。茂吉は長野の田舎出身の物静かで真面目な男で、そんな妻を特に咎めたりせず、素知らぬ顔をしている。
 ある日、姪の節子(津島恵子)に見合いの話が舞い込み、相手と演劇を観に行く。妙子もそれに付き添うが、節子はそこから逃げ出し、茂吉と彼が後見人として世話を見ている登(鶴田浩二)が出かけているところへやって来る。頑なな節子の態度に諦めた茂吉は彼女の好きにさせる。その夜、節子は茂吉の家に泊まりに来るが、妙子に気づかれ、さらに茂吉が節子の行動を黙認していたこともバレてしまう。見合いするべきという妙子に、茂吉は、無理に見合いしても自分たちのような夫婦がもう一組できてしまうだけだ、と言ってしまい、彼女は静かに怒って口をきかなくなってしまう。
 仲直りできないまま日々が過ぎ、妙子は突然神戸の友達のところへひとりで出かけてしまう。そんな中、茂吉は急に海外出張を命じられる。二人のすれ違いは解消されるのか。――

 1950年代の東京の風俗が数多く盛り込まれています。ラーメンだったり、パチンコだったり、競輪だったり、野球観戦だったり。終戦から十年と経っていないのですが、意外と立ち直りが早いものなのですね。まあ東京だからというのもあるんでしょうが。さて、パチンコを初めてした茂吉の言葉、「しかし、パチンコもちょいと病みつきになるね。(……)つまり、なんだな、大勢の中にいながら、安直に無我の境にはいれる。簡単に自分ひとりっきりになれる。そこにあるものは、自分と玉だけだ。世の中の一切の煩わしさから離れてパチンとやる。玉が自分だ、自分が玉だ。純粋の孤独だよ。そこに魅力があるんだな。幸福な孤独感だ」。こんなふうに、ふとした言葉や会話が結構楽しかったりします。
 妙子はあっけらかんとしているし、茂吉も感情を表に出さないので、深刻さというものは感じられず、気が滅入らずに観ることができます。終盤、二人がお茶漬の準備をするシーンなんか、とっても素敵です。二人の嬉しそうな顔がたまらないんだな、こりゃあ。まあ、つまりはツンデレってやつなんですかね。
 結婚というものも、男女というものも、現代とだいぶかけ離れていますが、しかし一組の男女が夫婦になるというのは変わりませんし、これからも相当なことがないかぎり変わらないでしょう。夫婦や家族を見つめ続けたからこそ、小津の作品というのは世代を超えて、また国を超えて愛されているのでしょうね。

 最後は妙子のセリフを引用します。
「でも男って複雑ね。女なんて家にいる旦那さましか知らないんだもの。家にいる旦那さまなんて、甲羅干してる亀の子みたいなもんよ。あれで外へ出りゃ、結構兎とかけっこしたり、浦島太郎のせたりすんのよ。大概の女は旦那さまの一部しか見てないのよ」
(節子にたいして)「よく考えんのよ、よく考えてお婿さん決めんのよ。あんたの一生の問題。ネクタイの好みがいいとか、洋服の着こなしがどうとか、そんなことどうでもいいの。なんてったらいいのかな……男の人の頼もしさっていうのかしら、それが一番大事なの」
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2018
0324
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『未来を生きる君たちへ』レビュー

 第十回目のレビューはアカデミー賞外国語映画賞受賞作、『未来を生きる君たちへ』(スサンネ・ビア、2010年、118分)です。デンマークの映画でした。デンマーク映画はじめて観ました。デンマーク……スカンジナビア半島? ムーミン? スウェーデンの隣? ぐらいの知識しかないです。
 とてもいい映画でした!! ストーリーがまず素晴らしいのと、ところどころドキュメンタリー風のカメラワークで臨場感や緊張感が満点、またデンマークやアフリカの自然も堪能できます。あと、クリスチャンがめっちゃくちゃ美少年なのも特筆すべき点ですね。演技もとても素晴らしいです。大人たちはもちろん、子役の二人や難民キャンプのアフリカ系の人びともとっても自然な演技をしていて、カメラワークと相まって、ドキュメンタリーかと錯覚することもしばしばでした。

 ストーリーは以下のよう。
 ガンで母を亡くしたクリスチャンは、父とともにロンドンから父方の祖母の住むデンマークへ越してくる。彼は転校先の学校でエリアスと仲良くなるが、エリアスは気弱で、ソフスらからいじめを受けている。そのいじめに巻き込まれたクリスチャンは、ソフスを不意打ちで襲撃し、大怪我を負わせる。警察沙汰になるが、ソフスにも非があるため、互いに和解し、いじめは止む。
 ある日、エリアスの父アントンは、エリアスとその弟、そしてクリスチャンを連れて遊びに出かけるが、そこでラースという男と些細なことから揉め、理不尽に殴られる。クリスチャンは、彼の職場を突き止めて、エリアスとともにアントンに報復をすすめる。アントンは子どもたちを連れてラースの職場に向かい、彼に殴った理由を訊ねるが、ふたたび理不尽に殴られる。しかし、アントンは決して仕返しせず、報復の無意味さを子どもたちに教えるが、クリスチャンは納得しない。
 舞台は変わってアフリカのとある難民キャンプ。そこではアントンが医師として働いている。近辺では、「ビッグマン」という男が、妊婦の腹を切り裂いたり、子供を殺したりと極悪非道な所業を繰り返していた。そんな中、その「ビッグマン」が一味を引き連れて難民キャンプを訪れ、負傷した脚の治療を求める。キャンプに住む人びとや同僚医師は、治療を拒否して追い出すことをすすめるが、アントンは治療を引きうける。
 ふたたびデンマーク。家の倉庫で大量の花火を見つけたクリスチャンは、その火薬を使って爆弾を作り、ラースの車を爆破して報復することを思いつく。エリアスは悩むが、しぶしぶクリスチャンに協力する。――

 こうして書いてみると、クリスチャンが血気盛んな不良少年に感じられますが、むしろ理知的で物静かな少年です。ただ、母が死んで愛情を受けられなくなったことと、母の延命治療を拒否した父のその行動について複雑な想いを抱いていることから、上記のような行動に走ってしまうのです。
 さて、本作の原題はデンマーク語で「復讐」を意味するらしいです。英題は”In a Better World”、日本語題は『未来を生きる君たちへ』。洋画のタイトルをどうするかというのは一つの重要かつ難しい問題ですが……『未来を生きる君たちへ』、どうでしょうか? 結構いいタイトルだと個人的には思います。
  
2018
0323
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『ギャング・オブ・ニューヨーク』レビュー

 春休みも後半に入りました。本日は筑波大学の卒業式なんでしょうか? ご卒業おめでとうございます。
 
 そろそろ新歓の予定も決まりそうです。

 さて第九回目のレビューは『ギャング・オブ・ニューヨーク』(マーティン・スコセッシ、2002年、167分)です。「ギャング」と「ニューヨーク」、スコセッシが大好きな二つの要素が織り交ぜられた本作は、1860年代のニューヨークをセットで完全再現するなど、彼の傾けた精力の強さが端々から伝わってきます。
 本作の主演はあのレオナルド・ディカプリオ! ……のはずなのですが、アカデミー賞主演男優賞には前回紹介したダニエル・デイ=ルイスがノミネート。ディカプリオはその後も『アビエイター』、『ディパーテッド』、『シャッター・アイランド』、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などスコセッシ作品や、『ブラッド・ダイヤモンド』、『インセプション』などの話題作でも主役を張るのですが、一向にアカデミー賞が獲れませんでした(特に『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は素晴らしい演技なのですが……)が、しかし、2015年、ようやく『レヴェナント:蘇りし者』でアカデミー賞主演男優賞を受賞! なんという長い道のり……

 さて、ストーリーは以下のよう。
 18世紀の初頭、移民たちは次々と自由の国アメリカに移民としてやってくる。その移民の大半を占めていたアイルランド移民たちは、安アパートや売春宿がひしめくファイブ・ポインツという渾沌とした町に住まざるをえない。しかし、そこでは移民を嫌悪する「ネイティブ・アメリカンズ」というギャングが幅を利かせていた。アイルランド移民たちは彼らに対抗するため「デッド・ラビッツ」という組織を結成する。
 1846年、彼らの対立は激化し、ついに二つの組織の直接対決が行なわれる。壮絶な戦いの末、「ネイティブ・アメリカンズ」のリーダーであるビル・ザ・ブッチャー(ダニエル・デイ=ルイス)が、「デッド・ラビッツ」のリーダーであるヴァロン神父を殺し、決着がつく。
 16年後、ヴァロン神父の息子であるアムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)がファイブ・ポインツへ帰ってくる。彼は素性を隠して「ネイティブ・アメリカンズ」へ入り、持前の度胸と才能で頭角を現わし、ビルに一目置かれる存在になる。父の仇のために働く自分に嫌悪し、ついにビルの暗殺を試みるが、失敗し、屈辱を与えられた上で放免される。
 心を入れ替えたアムステルダムは、新たに「デッド・ラビッツ」を結成し、「ネイティブ・アメリカンズ」に対抗し始める。はたして、アムステルダムはビルへの復讐を果たすことができるのか。――

 時代設定は、南北戦争やリンカーンや徴兵制の制定など、アメリカ黎明期でも特に激しい18世紀の後半。奴隷解放宣言などの華々しさが表にある一方、裏には移民や黒人への差別の激しさがあったのだとうかがい知れます。とはいえ、ふつうの日本人であるわれわれはなかなか映画の世界に没入することが難しいように思いました。アメリカ史とかアメリカ政治とかを勉強している人にとっては興味深いのでしょうが(とはいえU2の”The Hands that Built America”とかラストシーンとかは結構感慨深かったです)。
 しかし、終盤のニューヨーク徴兵暴動以降のシーンはさすがのスコセッシというところです。暴徒たちによる破壊や暴力を描く手法はやはり素晴らしいです。これだけでも観る価値ありと言えるでしょう。
2018
0317
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『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』レビュー

 第八回目のレビューは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(ポール・トーマス・アンダーソン、2007年、158分)。ダニエル・デイ=ルイスが石油王の生涯を演じ切り、アカデミー賞の主演男優賞を獲得しています。彼はその他『マイ・レフトフット』(ジム・シェリダン、1989年、103分)、『リンカーン』(スティーブン・スピルバーグ、2012年、150分)で同賞を受賞しており、同賞を三度受賞しているのは彼ひとりだそう。

 ストーリーは以下のよう。
 20世紀初頭のアメリカ西部。油田を探し求めるダニエル・ブレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)とその息子H・Wのもとに、一人の男がやってくる。男は牧場を経営するサンデー家の長男ポールで、自分の家のサンデー牧場から石油が採れるかもしれないという情報をダニエルに売りに来たのだ。ダニエルとH・Wはサンデー牧場を訪れ、家長エイベルとポールの弟イーライと交渉して、サンデー牧場の土地を買い、試し掘りを始める。見事に石油は掘り当てられたが、すぐさま爆発事故が発生し、採掘場にいたH・Wは爆風で地面に叩きつけられ、聴力を完全に失う。また、採掘の成功が報じられると、ヘンリーという男が現われ、自分は腹違いの弟だとダニエルに告げる。目まぐるしく変わる状況の中、ダニエルは石油の輸送用パイプラインを設置するため、さらに土地を買い占めてゆく。――

 あらすじだけだとちょっとわかりづらいですが、本作では、ダニエルの生涯において、息子H・W、サンデー家の次男で「第三の啓示教会」の牧師を務めるイーライ、腹違いの弟だというヘンリー、これら三人の人物との関わりに特に焦点が当てられています。さて、原題はそのまんまの”There Will Be Blood”。これは「出エジプト記」の記述に由来するようです。イーライとの関わりは、ダニエルと宗教との対決を意味しています。また、H・Wとヘンリーとの関わりは、ダニエルと血縁としてのbloodとの関わりを意味しています(もちろん殺人のメタファーとしての血でもあります)。タイトルと映画内容が上手い具合にリンクしているのです。
 その他、アメリカの広大な自然がたっぷりと描かれていて、とてもよかったです。

 ポール・トーマス・アンダーソンとダニエル・デイ=ルイスは、2017年に公開されアカデミー賞にもノミネートされた『ファントム・スレッド』で再びタッグを組んでいます。これも観てみたいですね。
2018
0315
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『椿三十郎』レビュー

 第七回目のレビューは黒澤明の傑作時代劇『椿三十郎』(黒澤明、1962年、96分)です。『用心棒』(黒澤明、1961年、110分)の続編ですが、直接のストーリーはつながっていませんので、単独で観ることができます。とはいえ、これを観たら『用心棒』を、そして『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ、1964年、96分or100分)をも観たくなること間違いなしです。

 ストーリーは以下のよう。
 江戸時代のとある藩。ある夜、次席家老の黒藤(志村喬)と国許用人の竹林(藤原釜足)の汚職に義憤する九人の若侍たちは、森の中の社殿に集まる。そこでリーダー格の井坂伊織(加山雄三)は、伯父である城代家老の睦田に汚職のことを相談するがはねつけられたこと、しかし大目付の菊井は協力してくれることを報告する。すると、偶然そこへ居合わせた椿三十郎(三船敏郎)が、話を聞く限り菊井が黒幕だと指摘し、それを裏付けるように菊井の懐刀である室戸半兵衛(仲代達矢)率いる大勢の侍たちが社殿を取り囲み、若侍たちは窮地に陥る。しかし、三十郎は巧みにそれを対処し、乗りかかった船だとして若侍たちに協力する。一方、菊井は城代の睦田の屋敷に手下を送り、睦田とその奥方と娘を連れ去る。これまた三十郎の機転によって睦田の奥方と娘は奪還することに成功したものの、睦田の行方はわからない。しかも菊井の策によって、藩の大方は静観する構えをとるか菊井の側についてしまう。圧倒的に不利な状況の中、三十郎と若侍たちは睦田を奪還し、菊井らの悪事を暴くことができるのか。――

 まずテンポがとても良いです。策を考え、相手の策を読み、また策を考え、と椿三十郎の知恵が冴えます。もちろん、相手方の菊井や室戸も負けたものではなく、三十郎は幾度も危機に陥りますが、それもはねのけてしまうカッコよさ。また、三十郎ひとりで幾十人もの敵を倒す殺陣シーンや、ラストの三十郎対室戸の対決シーンなど、チャンバラについても大満足間違いありません。
 三船敏郎、仲代達也、加山雄三、田中邦衛、などなど、考えられないくらい豪華なキャスティング。ところで、この男臭い映画の癒しが睦田の奥方と娘の千鳥です。奥方はのんびりとして争いごとを嫌う性質で、その言動で三十郎たちのペースを崩しますが、それがまた微笑ましい。合図が必要になる場面で、椿を流して合図にしようと提案するのはその娘の千鳥。なんとも風流。白黒で白椿と赤椿の美しさが伝わりづらいのがちょっと残念です。前にも書いたように、翌年撮る『天国と地獄』では、白黒の一部を着色する技術を駆使するのですが、ここでは使えなかったのでしょうか。

 最後に、奥方と三十郎のやりとりを。
三十郎 (生け捕りにした菊井の手下の処置を問われて)「面を知られたんだ、叩き斬るほかねぇな」
奥方 「いけませんよ、そんな。あとの見張りの人を斬ったのも、あなたでしょう」
三十郎 「あんた方を助け出すにゃ斬るほかなかったんでね」
奥方 「でも、助けられてこんなことを言うのはなんですけど、すぐ人を斬るのは悪い癖ですよ。……あなたはなんだかギラギラしすぎてますね」
三十郎 「ギラギラ?」
奥方 「そう、抜き身みたいに」
三十郎 「抜き身?」
奥方 「あなたは鞘のない刀みたいな人。よく斬れます。……でも本当に良い刀は鞘に入ってるもんですよ」
2018
0309
Fri
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『シンドラーのリスト』レビュー

 第六回目のレビューは『シンドラーのリスト』(スティーヴン・スピルバーグ、1993年、195分)。ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を描いた作品は数多くありますが、その中でも特に有名な一作です。全身全霊をかけたこの作品でスピルバーグはアカデミー賞作品賞や監督賞などを受賞しています。ちなみに同年、『ジェラシック・パーク』も撮り、当時の世界興行収入一位を記録したそうです。金も稼ぐし賞レースにも勝つ、さすがはスピルバーグといったところでしょうか。

 ストーリーは以下のよう。
 金儲けにしか興味がないドイツ人のオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン、主演男優賞受賞)は、ナチス・ドイツのポーランド侵攻に乗じてポーランドへ乗り込む。つぶれた工場を買い取って軍需品を生産してドイツ軍に売り、一儲けすることをもくろんでいるのだ。彼は給料を安くすませるためにゲットーに住むユダヤ人を多く雇い、またSSの将校に上手く取り入って事業を拡大する。ところが、クラクフ・ゲットーが閉鎖され、そこに住む多くのユダヤ人たちがクラクフ・プワシェフ強制収容所へ送られる。シンドラーはそこへ所長として赴任してきたアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ、「ヴォルデモート」でおなじみ)に取り入って、今まで働いていたユダヤ人すべてを変わらず工場で働かせることに成功するが、戦況の悪化により、とうとう彼らをアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ送ることが決まる。ユダヤ人たちの命を救うため、シンドラーは私財をなげうって、自らの工場に労働力として彼らを引き受けることを決意する。――

 一度は観るべき映画だと思います。オスカー・シンドラーという人物を過剰に伝説化するのはいかがなものかという批判もあるとは思いますが、裏を返せば、それだけ完成度の高い映画だということです。実際、上映時間は三時間を超えますが、演技、音楽、演出などのおかげか長いなどとはまったく思いませんでした。
 劇中でオスカー・シンドラーと対照されるのが、アーモン・ゲート少尉。同じドイツ人でナチス党員であるにもかかわらず、二人はまったく違う行ないをします。アーモンの描き方には苦労したのじゃないかと勝手に推測。
 さて、この映画は冒頭と終り以外はすべて白黒なのですが、ユダヤ人を救いだそうというシンドラーの決意のきっかけになった少女の服には赤が着色されています(他にもロウソクの火などにも)。ナチス・ドイツによるユダヤ人への凶行が横行するなか、あどけない少女の赤い服が画面にあらわれるシーンはおそらく観た人すべての印象に深く刻まれているでしょうが、この演出は黒澤明の『天国と地獄』(1963年、143分)から着想を得たようです。こちらもぜひ。

 ほかにもナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を描いた映画は、『夜と霧』(アラン・レネ、1955年、32分)、『ライフ・イズ・ビューティフル』(ロベルト・ベニーニ、1997年、117分)、『戦場のピアニスト』(ロマン・ポランスキー、2002年、150分)、『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー、2015年、105分)など、多数ありますし、これからも撮られていくのだと思います。過去の恐ろしい出来事を、映画で一つずつ検証して再発見しているのでしょうか。
2018
0308
Thu
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『うなぎ』レビュー

 第五回目のレビューは『うなぎ』(今村昌平、1997年、117分or134分)です。
後期今村昌平の傑作映画、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しています。今村昌平は『楢山節考』(1983年、131分)でもパルムドールを受賞していて、二度パルムドールを受賞するという快挙をなしとげている監督です。ちなみに、『楢山節考』とパルムドールを争ったのが、以前、活動で上映した『戦場のメリークリスマス』(大島渚、1983年、123分)。
 今村昌平は、「横浜放送映画専門学院」(「日本映画学校」を経て、現「日本映画大学」)を設立するなど、日本映画界にも多大なる貢献をした人物です。

 ストーリーは以下のよう。
 不倫した妻を刺し殺した山下拓郎(役所広司)は、8年間の服役を経て、仮出所を果たす。彼は服役中に理髪師の資格を取得し、かつてお世話になったお寺の住職(保護司も兼ねる)の助けを借りて、とある町で理髪店を開業する。町の人は何かと気を遣うが、無骨で無口な彼が心許せるのは、刑務所での労役中に見つけて、刑務官たちの協力によってもち出すことができたうなぎだけ。とはいえ、町の人とはトラブルもなく、静かに日々は過ぎる。ある日、山下がうなぎの餌とりをしていると、睡眠薬で自殺を図った女(清水美砂)を見つける。名を服部桂子という女はなんとか命をとりとめ、理髪店で働きたいと申し出る。山下はその申し出をしぶしぶ受け容れ、二人で店を切り盛りする生活が始まる。しかし、山下と同じ刑務所にいた高崎(柄本明)や、桂子のかつての恋人であった堂島(田口トモロヲ)が現われ、山下と桂子の過去が明らかになり、平穏な日々は脅かされていく――

 キャッチコピーは「男、一人。女、一人。うなぎ一匹」。結構テンポが良く、スイスイと話が進んでいってアッという間に感じられます。設定だけみるとベタな感じがしますが、主演の二人はもちろん、柄本明、田口トモロヲ、佐藤允、哀川翔、倍賞美津子、市原悦子などの脇役たちがとてもいい演技をしていて、没入してしまいます。今村昌平特有のむせかえるようなエロス表現も相変わらずですが、全体としてはサッパリと清々しい印象です。DVDのパッケージにもある自転車の二人乗りシーンや、役所広司と柄本明の二人のシーン、堂島たちが理髪店に乗り込んで一悶着あるシーンなどが印象的でした。
 タイトルにも使われているうなぎ。長い間生態が謎だったそうですが、日本から2000キロメートル、つまり赤道ぐらいまで南下して、メスはそこでお腹の卵を生み、オスはその卵に精子をばらまき、稚魚が生まれ、また日本に帰ってくる、ということがわかったようです。しかし、この旅は相当しんどいらしく、多くのうなぎが死んでゆくのだそう。このうなぎの生態もちょろっと関わってきます。

 視聴後は良い気分になること間違いなしの映画です。
 僕がツタヤで借りたのは劇場公開版でしたが、17分追加したディレクターズ・カット版もあるそうです。ぜひ観てみたい。

 
2018
0308
Thu
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追いコン!!!

 3月6日に「くぼや」で追いコンを行ないました!

追いコン1

追いコン2

追いコン3

追いコン4

追いコン5

しかし、「追い出し」とはただ名目上のものにすぎません。
院生になってもドンドン普段の活動やイベントに参加してください!!
2018
0302
Fri
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『別離』レビュー

 筑波大学の前期入試が終わったようで、そろそろ合格を確信した受験生がサークルを物色している頃ではないかと思います。
ぜひとも映画研究部に入っていただきたいですね。

 さて、第四回目のレビューは『別離』(アスガル・ファルハーディー、2011年、123分)というイランの映画です。本作はアカデミー賞外国語映画賞を受賞し、脚本賞にノミネートされ、またベルリン国際映画祭では最高賞の金熊賞と女優賞・男優賞で二つの銀熊賞を受賞、など世界的にメチャクチャ高い評価を得ているので、イラン映画ははじめてですが観てみました(ファルハーディーは最近、『セールスマン』という作品で再び外国語映画賞を受賞したようです)。


 ストーリーは以下のよう。
 銀行に勤めるナデルは、14年間連れ添う妻シミンと離婚の危機にあります。シミンはナデルと娘テルメーとともにイランを出て行きたいのですが、ナデルはアルツハイマー病を患う実父の介護のためにイランに残ることを主張しているからです。とりあえず二人は別居。そのため、ナデルはラジエーという敬虔な貧しい妊婦の女性を父のヘルパーとして雇います。宗教上の理由から男性の介護をすることへの抵抗感や介護自身の辛さからラジエーは仕事を辞めたいと思いますが、ラジエーの夫ホッジャトは失業していて、生活のために働かざるをえません。ある日、ナデルとテルメーが家に帰ると、父がベッドに手をつながれ、しかもベッドから落ちて、意識不明でいるのを見つけます。ナデルの父はすぐさま意識を取り戻し、命に別状はありませんでしたが、すぐあとに帰って来たラジエーにたいしナデルは激昂。また、戸棚に入れていたお金がなくなっているのもラジエーのせいだと思い、ラジエーを家から追い出そうとします。お金に関しては無実だと言い張り家のドアに取りすがるラジエーを、ナデルはカッとなって強く押し、ラジエーは玄関の前の階段で転んでしまう。その夜、ラジエーはお腹の子を流産。ナデルは殺人容疑で逮捕され告訴されますが、父の介護を途中で放棄したラジエーを逆に告訴。裁判は、二人をめぐる人びとを巻き込んで、泥沼にはまっていく。――


 どの人にも等しく共感できるし、どの人にも等しく共感できないし、……というふうに、倫理的に云々することが難しい映画でした。そういう意味では、とても脚本が練られていて、とてもリアルだったと思います。緊張感があって、画面にくぎ付けになりました。
 興味深いのがやはりイスラーム教にまつわるアレコレ。たとえば、ラジエーは粗相をしてしまった介護人の着替えを手伝うのが、宗教上罪になるかどうか電話で誰か(モスク? イスラム法学者?)にたずねます(ラジエーの敬虔さは映画でも一つのキー要素です)。また、「殉教者に誓って……です」や「その言葉、コーランに手を載せて言ってみろ」、「コーランに誓えるか?」などという文言が頻出します。これはイスラーム教圏の映画ではないと聞けないセリフですね。とはいえ、介護の問題や貧富の差の問題などを絡めた映画の内容そのものは日本に舞台を移してもまったく違和感はありません。そういうところが、世界的に評価された理由の一つでしょうか。

 アメリカやフランス、イギリス、イタリア、ドイツ、こうした映画大国以外の国の映画もいろいろと観ていきたいですね。まあ結局ツタヤにあるかないかが問題なんですが。せめて外国語映画賞受賞作ぐらいは置いてほしいものです。