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2018
0714
Sat
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『赤ひげ』レビュー

 第二十六回目のレビューは『赤ひげ』(黒澤明、1965年、185分)についてです。黒澤明の白黒映画は本作で最後になります。これ以後、黒澤明は非常に寡作になると同時に、海外へ進出していきます。また、黒澤映画に欠かせない存在だった三船敏郎も、本作を最後に黒澤映画には出演していません。そういう意味で、本作は転換点でもあります。だいぶ前に紹介した『椿三十郎』の三船敏郎と加山雄三のタッグが再び! という意味でも面白いです。
 さて、本作の舞台である小石川養生所は、八代将軍徳川吉宗による享保の改革で建てられた貧民救済施設。そして「赤ひげ」先生のモデルは小川笙船という漢方医。あの有名な目安箱に、貧民に薬を与える公的な施設の構想書を投書し、それが将軍の眼にとまって話が進んだそうです。あと百年くらいすると、『JIN-仁-』で描かれた時代になります。

 ストーリーは以下。
 長崎で蘭学を修め、幕府の御番医になる希望に燃えて江戸に帰ってきた青年医師の保本登(加山雄三)は、自分の知らないうちに進んでいた話によって、小石川養生所で働くことになる。そこでは「赤ひげ」と呼ばれる新出去定(にいできょじょう 三船敏郎)ら少数の医師が日夜貧民たちの治療にあたっていた。不本意な事態にすねた保本は、好き勝手に過ごして放逐されるのを待つが、新出は何も言わない。ある日、狂気から三人もの男を殺した美しい狂女(香川京子)が、養生所内の隔離施設から脱け出し、保本の部屋へやってくる。保本が女の美しさと彼女の子どもの頃のおぞましい思い出に隙を見せると、女は保本を殺そうとするが、間一髪のとこで新出がそれを止め、事無きをえる。この一件で少し心を入れ替えた保本は、さまざまな人びとの死や恢復の現場に立ち会い、また、医師として人としても偉大な新出の背中を見ながら、少しずつ一人前の医師に成長していく。――

 描かれている時代は、江戸時代の中でも比較的平穏な時代ですが、そこでももちろん人の生き死には壮絶なもの。まして貧しい人びとならばなおさらのこと。そうした普通の人びとをきちんと描き切っていまして、チャンバラのような派手さはないですが、とってもいい、心にしみる、素晴らしい映画になっています。ほんとにいい映画です。こういう映画があるというのは一つの喜びです。『生きる』(1952年、143分)が好きな人は絶対に好きになると思います。あとは『ブラックジャック』とか『JIN-仁-』とか好きな人も絶対に好きになると思います。まあ医療系の物語って結構ワンパターンではあるんですけど、ワンパターンだからこそ余計に医者と患者にまつわる物語が生きるというかなんというかで、いいんですよね。
 男も女も子役も老人も、みんな骨太の素晴らしい演技なのも見どころです。

 最後にセリフを引用。
新出「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などない。医術などと言っても情けないものだ。医者にはその症状と経過はわかるし、生命力の強い個体には多少の助力をすることができる。だが、それだけのことだ。現在われわれにできることは、貧困と無知に対する戦いだ。それによって、医術の不足を補うほかはない。……それは政治の問題だというのだろう。誰でもそう言って済ましている。だがこれまで政治が、貧困と無知に対して何かしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしておいてはならんという法令が、一度でも出たことがあるか」
保本「しかし、この養生所という設備はそのために幕府の費用で――」
新出「ないよりはあったほうがいい。しかし、問題はもっと前にある。貧困と無知さえなんとかできれば、病気の大半は起こらずに済むんだ。いや、病気の陰には、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている。」
2018
0707
Sat
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7月の予定

7月の予定をお知らせします。

7月10日(火) 3A207 『チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室』(ジョン・ポール、2007年、97分)
7月13日(金) 編入試験のため活動はお休みです。
7月17日(火) 3A204 『ULTRAMAN』(小中和哉、2004年、97分)
7月20日(金) 2A305 『セッション』(デミアン・チャゼル、2014年、106分)
7月24日(火) 3A204 『ブタがいた教室』(前田哲、2008年、109分)
7月27日(金) 2D205 『隠し砦の三悪人』(黒澤明、1958年、139分)

 今月もよい映画がそろったのではないでしょうか(珍しく邦画の方が多いですね)。

 話は変わりまして、映研の夏恒例バーベキューですが、8月8日、9日、10日のどれかに行おうかなと考えています。詳細が決まったらまたお知らせいたします。夏旅行の方も同様です。
2018
0705
Thu
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『セルピコ』レビュー

 すでに夏。
 第二十五回目のレビューは『セルピコ』(シドニー・ルメット、1973年、124分)についてです。主演は「ゴッドファーザー」シリーズで有名なアル・パチーノ。この前の年に『ゴッドファーザー』(フランシス・フォード・コッポラ、177分)、次の年に『ゴッドファーザー PARTⅡ』(200分)、1975年には『狼たちの午後』(シドニー・ルメット、125分)と、この辺りのアル・パチーノの活躍っぷりはすごいです。ちなみに、アル・パチーノの身長はウィキペディアによると166cm。これでマフィアのボスとかを演じて様になっているのはすごいです。

 ストーリーは以下。
 麻薬取引の現場でフランク・セルピコ(アル・パチーノ)という警官が撃たれ、病院に運び込まれる。物語はセルピコの過去にさかのぼる。
 子どもの頃からの夢であった警察官になったセルピコは、使命感に燃えるが、ニューヨーク市警は彼の理想とは程遠いもので、同僚たちは日常的に収賄を行なっていた。それでもめげずに制服警官として功績をあげ、刑事になるためのキャリアを積むなかで、正義感が強く、のちにニューヨーク市長の調査部に配属されるブレア(トニー・ロバーツ)と知り合い、友人となる。私服刑事となり、とある分署の麻薬課に配属されたセルピコは、勤務早々何者かに賄賂を渡される。ブレアに相談し、その上で調査部長に報告するが、部長からはただ忘れろと言われるだけであった。そこでは、刑事たちが組織的に売人たちから賄賂を徴収し、私服を肥やしていたのだった。どうしても金を受け取ろうとしないセルピコは署内で孤立する。セルピコは署内の汚職を警察上層部に相談するが、彼の予想以上に警察組織の腐敗は進んでいた。はたして、彼は正義を貫くことができるのか。――

 実話を基にしていると聞いて、驚きました。警察組織がものすごい腐敗しています。「賄賂を受け取らない奴は仲間として信用できない」と、同僚刑事が言うほどです。映画公開から45年経っていますが、現在のアメリカ警察はどうなのでしょうか? 日本の警察はここまで腐敗していないといいのですがね。
 警察を舞台にした物語にあるような、カッコいいアクション、明晰な推理、悪を成敗する爽快感といったものはありません。淡々と、セルピコという男の生き様を追っていきます。つまり、映画の出来はセルピコを演ずるアル・パチーノにかかっているのですが、さすがの演技。潜入捜査のためヒッピーのような恰好をしているのですが、だらしない風貌なのにとてもカッコいいんですね。その他、確かな実力をもった脇役たちが映画を支えます。決して派手ではないのですが、じっくりと見入ってしまう、そんな映画です。
2018
0628
Thu
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『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』レビュー

 二十四回目のレビューは『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(押井守、1995年、83分)についてです。押井版「攻殻機動隊」の一作目にあたります。「攻殻機動隊」は何度もTVアニメ化やアニメ映画化しているのですが、本作が一番有名なのではないでしょうか。押井守の代表作であり、日本SFアニメの最高峰でもあります。

 ストーリーは以下。
 「企業のネットが星を被い電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来」。
 超法規特殊部隊である内務省公安9課に所属する草薙素子(声、田中敦子)は、認定プログラマーを強引に国外亡命させようとする外交官の暗殺任務を遂行する。一年後、外務大臣の通訳の電脳がハッキングされる事件が起こる。他人の電脳をゴーストハックし、人形のように操るハッカー、通称「人形使い」の犯行の可能性が浮上し、9課の荒巻大輔(声、大木民夫)、草薙素子、バトー(声、大塚明夫)、トグサ(声、山寺宏一)、イシカワ(声、仲野裕)らは捜査を行なうが、容疑者として逮捕する人々はいずれもゴーストハックされたことによって操られていただけであった。はたして、「人形使い」の正体を掴むことができるのか――

 「ゴースト」って何?と初見では思いますが、いわゆる「霊魂」のようなものでしょう(作品内でもフワッとした感じで使われています)。生きた身体と死体をわかつもの、人形と人間をわかつもの。「ゴーストハック」とは、そうした人間の魂のようなものをハッキングによって支配し、偽の記憶を植え付けたり、行動を操ったりすることをいいます。
 さて草薙素子は脳を残してほぼ全身を義体化していまして、そんな彼女は本当に「人間」なのか、ゴーストは本当に機械と人間をわかつのかという問題をはじめ、記憶と自己の問題など、哲学的に興味深い問題を多く含んだ作品になっています。AIや医療技術が進歩しつづければしつづけるほど、この映画は現代性をもったものとして迫ってくるのです。素子のセリフ、「人間が人間である為の部品はけっして少なくない様に、自分が自分である為には、驚くほど多くのものが必要なのよ。他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった時の記憶、未来の予感、それだけじゃないわ。あたしの電脳がアクセス出来る膨大な情報やネットの広がり、それら全てがあたしの一部であり、あたしという意識そのものを生み出し、そして同時にあたしをある限界に制約し続ける」。
 82分という短い時間なのですが、セリフは少なめで、ストーリーには直接かかわってこないシーンを割と多く挿入したり、戦闘シーンを派手にしないなどの演出によって、独特の空気感をもった映画になっています。なかなかアニメではできない芸当ですね。引き算の美学的な。
 続編は『イノセンス』(2004年、100分)です。「攻殻機動隊」がタイトルに入っていないので注意です。
2018
0610
Sun
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『マルサの女』、『マルサの女2』レビュー

 第二十二回目のレビューは『マルサの女』(伊丹十三、1987年、127分)についてです。映研としては珍しく日曜日の今日に上映会をしまして、本作と続編の連続上映をしてみましたが、意外と疲れますね。
 さてさて、まず伊丹十三とは、本の装丁などを手掛ける商業デザイナーであり、CMクリエイターであり、『家族ゲーム』(森田芳光、1983年、106分)や『細雪』(市川崑、1983年、140分)などで重要な役を演ずる俳優であり、エッセイストであり、そして映画監督である、というふうに多才な人。ちなみに父は同じく映画監督であり作家でもあった伊丹万作、親友でかつ妹の夫なのがノーベル賞作家の大江健三郎です。さらに伊丹映画のほとんどで主演を張る宮本信子は彼の二番目の妻です。ところで本人は1997年に突然マンションの上から墜落死。これについてはいろいろな疑惑があるそうですが、なんにせよもう少し映画を撮ってほしかった……。
 タイトルにある「マルサ」とは、国税庁のもとにある国税局、その査察部のこと。全国の国税局のうち、東京国税局、大阪国税局、名古屋国税局にしかない部署であり、巨額脱税事件を主に取り扱います。これを見れば金のこと、税金のこと、社会のこと、いろいろなことがわかります。

 ストーリーは以下。
 複数のラブホテルを経営する実業家の権藤英樹(山崎努)は、ラブホテルの利用客が領収書をもらう客がほとんどないことをよいことに売上の一部を隠し、その裏金をさまざまな手法で洗浄しては私服を肥やしている、いわば巨額脱税者。
 港町税務署の敏腕署員でシングルマザーの板倉亮子(宮本信子)は、老夫婦の経営する商店の売上計上漏れを指摘したり、パチンコ店の所得隠しを巧妙な手法で暴いたりする中で、権藤が経営するラブホテルに脱税のにおいを嗅ぎつけるが、強制調査を行なえない一税務署員という立場の限界や、権藤の巧妙な手法を前にして、脱税を暴くことができないでいた。月日が経ち、頑張りが認められて東京国税局査察部(通称「マルサ」)に引き抜かれた彼女は、そこでも早々に手柄をあげ、仲間からの信頼を得る。ある日、権藤に捨てられた愛人剣持和江からマルサに権藤の脱税に関するタレコミがあり、板倉たちは権藤に対して徹底的な内偵を行なう。その中で見えてきたのは暴力団、政治家、銀行が絡んだ大型脱税であった。はたして、板倉は、そしてマルサは、その正体を暴くことができるのか。――

 たかが金と思うなかれ。金を前にした人間の欲望のすさまじさというのをこの映画は教えてくれます。金を手に入れる、あるいは自分の金を守るためには法律の穴を徹底的に探し、いざとなっては恥をかくことも受け容れ、誇りをも投げ捨てる人々、自分の懐に入るわけでもない金を執拗なまでに追うマルサおよび税務署の人々、この攻防はとても白熱し、観る者をひきつける一方で、ブラックな笑いも誘います。つまり、この上ないほど面白いのです。「映画ってほんとに面白いなあ」としみじみ思います。
 素晴らしいのはやはり主演二人の演技、特に山崎努の演技。権藤は大胆に欲望を発露する人間である一方、息子想いで、敵であるはずの板倉とも息が合うという、複雑なキャラクターなのですが、それをとても上手く演じています。あとは音楽がよいです。特にメインテーマの耳に残る不気味なメロディが、緊張と興奮を高めてくれます。

 さて、いくつかセリフを。
(板倉の追求を泣いてやり過ごした店主に対して)税理士「なんです、芝居ですか? 呆れたなあ」
パチンコ屋の店主「芝居じゃない。ほんとに泣いたんだ。一泣きで百万でも二百万でも助かるんだったら、いくらでも泣いてやる!」

権藤「(……)女房は死んじゃった。だからこの光子ってのは、内縁だな。まぁもう少し情が移ってきたら結婚して……ほいでね板倉さん、本当に愛情わいて、財産をわけてやりたくなったらどうすると思う?」
板倉「さあ……」
権藤「離婚するんだよ、離婚。離婚して慰謝料ガバッと払うの。慰謝料、税金かかんないから、ね。そうやって財産を彼女に移しといて、また彼女と結婚する。おれ、女を愛したらそこまでやる男だよ」
板倉「財産移した途端に彼女が逃げちゃう可能性もありますね」

権藤「で、何が知りたいって?」
花村統括官(津川雅彦)「どうしたら金貯まるか……でももういいよ」
権藤「いや、せっかくだから教えてあげるよ。金貯めようと思ったらね、花村さん、使わないことだよ。あんたは葬式がありゃ一万、結婚式がありゃ二万と出すでしょう。そんなもの出してたら金は残らない。百万あったって使えば残らない。十万しかなくても使わなきゃ丸々十万残るんだからね。……あんた今、ポタポタ落ちてくる水の下にコップおいて、水貯めてるとするわね。あんた、喉が渇いたからって、まだ半分しか貯まってないのに飲んじゃうだろ? これ最低だね。なみなみ一杯になるのを待って、それでも飲んじゃダメだよ。一杯になって、溢れて、垂れてくるやつ、これを、……舐めて、我慢するの。そうすりゃコップ一杯の水は……」


 さて、第二十三回目のレビューは続編『マルサの女2』(伊丹十三、1988年、127分)についてです。前作は「マルサの女」と言いながら前半はマルサじゃなかったのですが、今回は一本丸々マルサ。ちょうど三十年前の1988年というバブル景気真只中の日本で問題になった、地価高騰と暴力団による「地上げ」、それに政財界を絡めていて、取り扱う金額もスケールも前作をはるかに上回ります。続編であり、ストーリーの規模を大きくしながら、しっかりと面白いという非常に稀有な作品です。

 ストーリーは以下。
 バブル期の東京。地上げを行なう暴力団同士の抗争を尻目に、オフィスビル建設ラッシュに乗っかり、ガッポリ儲けようと、大物代議士漆原(中村竹弥)と建設会社と商社と銀行は互いに手を組む。漆原は子分格の代議士猿渡(小松方正)に地上げを指示し、猿渡はこれを宗教法人「天の道教団」管長の鬼沢(三國連太郎)に任せる。鬼沢は、表は宗教家でありながら、裏では風俗業などの数々の商売を行なう商売人であり、また暴力団を操って地上げを繰り広げているのだった。そしてそこらで得た利益を宗教法人の収入とすることで課税を免れ(宗教法人の収入は非課税)、私服を肥やしているのだった。
 板倉亮子は鬼沢の大型脱税の手がかりをつかもうと、隠れ蓑である「天の道教団」に身分を偽装して潜入調査を行なうが、信者の妨害に遭い失敗、しかも調査の違法性を指摘されて厳重注意を受ける。しかし、新たにマルサに加わった東大出のエリート三島(増岡徹)の協力やふたたびの教団への潜入などで少しずつ手がかりを集めていく。同時に、マルサの仲間も鬼沢の脱税の証拠を固め、ようやくガサ入れが行なわれ、鬼沢の取り調べが行なわれるのだが、彼は頑として口を割らない。はたして、板倉は鬼沢の脱税を暴くことができるのか。――

 今作は地上げがテーマの一つでもあり、暴力団が大いに関わってきます。暴力団による民事介入暴力を描いた『ミンボーの女』(1992年、123分)でもそうなのですが、伊丹十三が描く暴力団はほとんど銃や刀などを使わず、創意工夫して効果的に脅しを行なう、ある意味で一番怖い存在です。ヤクザ映画のヤクザより現実味があるというかなんというか。また、今作では宗教法人の金銭面についても言及しています。伊丹十三のタブーを怖れない鮮烈な切り口は三十年後の今もなお輝きを失っていません。ほんとに惜しい人を亡くしたものです。
 前作の敵役である山崎努は宮本信子とよく調和していたのですが、今作の敵役の三國連太郎は鬼気迫る演技で、一人だけ際だっています。金への執着も欲望もすさまじい役柄ゆえというのもあるのでしょうが。ラストの笑い声のこだまにはブルルと震えてしまいます。

 さて、今作もセリフをいくつか。
鬼沢「地上げのコツはただ二つ、わかるか? 愛情と脅しだ。(……)脅しについてはお前たち専門家なんだから、今更説明することはないだろう。問題は愛情だ。愛情とは何か。相手の家庭の状況を把握してトコトン面倒を見ること、たとえば、息子が大学に入れなかった、よし! 学長を脅かしてでもなんとしても受からしてやろう、これが愛情なんだ。愛情と脅し、まあいわば、努力と創意工夫だ」

鬼沢「おれは国のために地上げやってるんだよ! 東京が国際的な情報都市として世界の金融センターになるためにはな、世界中の企業を東京に集めなきゃならねえんだよ。そのためには、オフィス面積が絶対的に不足してるんだ。その不足をうめるために高層ビルを建てるしかねえだろ! ……じゃあ、高層ビルどこへ建てるんだぁ? そんな土地どこにある? おい! どこにあるんだよ! 法律でも改正して私有地でも取り上げるか、んなことはできねえよな。だからおれたちはやってるんだよ! 政府や大企業のお偉いさんたちがな、自分の手を汚すか? 汚すわきゃねえだろう! 日本の改革のためにはな、誰かが汚ねえ仕事を引きうけなけりゃならねえんだよ! おれたちやらなかったら、東京なんてのはすぐに香港にその地位を奪われちまう。てめぇらそれでいいのか? おい? 日本がどうなっても構わねえってのか!」
2018
0602
Sat
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6月の予定

以下、6月の予定になります。

6月5日(火) 休み
6月8日(金) 文サ館映研ブースにて、雙峰祭についての話し合い。
6月10日(日) 2A409 特別上映会(時間と映画は後日お知らせします)
6月12日(火) 2C403 『最高の花婿』(フィリップ・ドゥ・ショーヴロン、2014年、97分)
※ミーティングで『ヴェルヌイユ家の結婚狂騒曲』として挙がっていた映画になります。
6月15日(金) 3A304 『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(アンディ・ムスキエティ、2017年、135分)
6月19日(火) 3A304 『ゲット・アウト』(ジョーダン・ピール、2017年、103分)
6月22日(金) 休み
6月26日(火) 3A304 『菊次郎の夏』(北野武、1999年、121分)
6月29日(金) 3A204 『パッション』(メル・ギブソン、2004年、127分)
※残酷な描写があるとのことです。

今月もよい映画に出会えますように。
2018
0602
Sat
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『狂い咲きサンダーロード』レビュー

 第二十一回目のレビューは暴走族映画『狂い咲きサンダーロード』(石井聰亙[現、石井岳龍]、1980年、98分)についてです。なにかのきっかけでタイトルを見た瞬間にビビッときてすぐに観た映画です。英題は”Crazy Thunder Road”。カッコよすぎますね。つくばには今時珍しくバイクで暴走している人たちがいるので、ちょうどよいのではないでしょうか。
 監督の石井聰亙は日本大学藝術学部の映画学科出身なんですが、本作は卒業制作として撮影されたようで、いわば自主製作映画。しかし、完成度の高さゆえに配給会社によって全国で配給され、シネマ旬報ベスト・テンでは第九位にランクインするという離れ業をやってのけた映画なのです。自主製作映画ということを知った上で見ると、どっから金や機材が出ているんだろうと不思議になります。バイクやら車やらがバンバン出てきて、小規模ながら爆発したり、ガラス割ったり、メチャメチャに壊したり……とにかく今の時代じゃ撮影できないことは確かです。


 ストーリーは以下。
 日本のどこかにある街「サンダーロード」。そこではいくつかの暴走族がしのぎを削っていたが、新たに施行された新道交法によって警察の取り締まりが厳しくなることを懸念したそれぞれの族の幹部たちは、平和的な協定を結ぶために会合を開く。しかし、そうした進みゆきに納得しない「魔墓呂死」のジン(山田辰夫)は、魔墓呂死特攻隊を率いて会合を襲撃し、幹部たちに大怪我を負わせる。それでもなお協定は結ばれ、暴走族の連合「エルボー連合」が結成、「魔墓呂死」もそれに吸収されるが、反対するジンは自分が新たに「魔墓呂死」のリーダーになると宣言し、幾人かを連れて独立する。「魔墓呂死」の初代リーダーで、今はスーパー右翼の「国防挺身隊」隊長のタケシ(小林稔侍)の説得もはねのけ、暴走行為を続けるジンたちを、「エルボー連合」は無視するわけにはいかない。ある日、「魔墓呂死」は襲撃され、メンバーの一人であるユキオ(大池雅光)が連れ去られてしまう。ユキオを取り返すために戦いに挑もうとするジンだったが、連合全体を相手にすることに恐れをなしてメンバーが逃げ出す事態が起こり、結局残ったのは四人だけ。懸命に戦うジンたちだったが、多勢に無勢、奮闘むなしくユキオは殺されてしまう。そんな中、突如「国防挺身隊」が現われて戦いを仲裁し、ジンたちは一命をとりとめ、「国防挺身隊」に身柄を引き取られる。ユキオを死なせてしまった怒りをぶつけ、最初は熱心に隊の訓練に参加するジンだったが、次第に不満をため、ついには隊を脱け出し、ふたたび暴走行為に耽る。しかし、隊の庇護を失ったジンに、またも連合の魔の手が忍び寄るのだった。はたして、ジンは「サンダーロード」で自由を手にすることができるのか。――


 画質は悪いですし、演技は洗練されていないですし(山田辰夫の演技は魂がこもっていますが)、ところどころチープなところやネタ要素がありますし、演出も粗削りですが、そうした欠点(?)を補ってあまりあるほど、この映画にはスピードと力と情熱が溢れています。そうしたスピードと力と情熱に身を任せてしまえば、バトルスーツを着て戦う最終決戦のシーンとかは「カッケぇ」しか言えなくなります。タイトルバックも本当にカッコよくて、ここと最終決戦はめちゃめちゃ繰り返して観ました。
 また、特筆すべきなのは音楽。泉谷しげるや頭脳警察のパンタ、THE MODSらの楽曲が常に流れていて、それがとても映像とあっていて、映画のもつスピードと力を増大させます。特に泉谷しげるの「電光石火に銀の靴」(タイトルバックと最終決戦で流れます)と、「翼なき野郎ども」(エンディングテーマ)が好きでした。
 自由とは何か、自らを貫き通そうとするジンの生き様をぜひ眼に焼き付けてください。
2018
0525
Fri
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本新歓!?

 早いもので、新歓も終り、5月も下旬に入りました。そして5月22日(火)、待ちに待った映研の本新歓が、大学のレストランプラザ「筑波デミ」で開催されました。来てくれた新入部員は一年生が8人、三編生が3人、何ともフレッシュな会になりました。

 以下、写真をどうぞ!

 本新歓1

本新歓2

本新歓3

本新歓4

本新歓5

本新歓7

本新歓8

本新歓9

本新歓11

本新歓13

本新歓14

本新歓16

いやあ、写真から楽しそうな雰囲気がビシビシと伝わってきますねえ。

二次会はとある部員のお家にお邪魔して「インサイダー」三昧でした。映研ボドゲ部の方もよろしくお願いします。

 さて、新歓、本新歓も無事に終わりました。参加してくださった新入生、サポートしてくださった部員の方々、本当にありがとうございました。これからの活動よろしくお願いしますm(__)m

 映研は年中部員募集していますので、新歓、本新歓には出られなかったけど気になる! という方は気軽に活動にいらしてください!!
2018
0525
Fri
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『フェリーニのアマルコルド』レビュー

 第二十回目のレビューは『フェリーニのアマルコルド』(フェデリコ・フェリーニ、1973年、125分)についてです。『道』、『カビリアの夜』、『8 1/2』、『フェリーニのアマルコルド』の四作でアカデミー賞外国語映画賞を、『甘い生活』でパルム・ドールを受賞した、イタリアを代表する映画監督フェデリコ・フェリーニ。本作は最近4Kリマスター版のDVDが出たようで、さっそく「ツタヤ発掘良品」が取り上げていました。イングマール・ベルイマンの諸作品など、「ツタヤ発掘良品」にはいろいろとお世話になっています。珍しい作品が多いので、みなさんもぜひ一度棚を見てみてください。


 ストーリーは以下。
 北イタリアのリミニという港町。春一番が吹き荒れて、雪のような綿毛が町中に舞い上がる。この町に住む少年チッタ(ブルーノ・ザニン)は悪童仲間と一緒にいたずら三昧の一方、ゲイリー・クーパーに憧れる町一番の美女のグラディスカ(マガリ・ノエル)や煙草屋の女主人など、女のことで頭がいっぱい。世間ではムッソリーニのファシスト党が政権を握り、うっかり反ファシスト的発言をした父(アルマルド・ブランチャ)は拷問を受けてしまうが、なんとか事なきを得、相変わらず季節は巡る。精神病院を退院した叔父さんと農場へ出かけたり、豪華客船レックス号を一目見るために町総出でボートを漕いだり、カーレースを見物したりと、平和な夏と秋を過ごす。冬、記録的な大雪に紛れて、伯爵家から逃げ出した孔雀、そして大切な人との別れ。チッタとその家族を中心に、リミニに住む人々の一年間を美しく描く。――


 リミニというのはフェリーニの生まれ故郷らしく、チッタにはフェリーニ自身が投影されているようです。一応チッタを中心としていますが、町のさまざまな人々に焦点が当たります。ストーリー自体は単調で、オチがない挿話が多いのですが、どこか懐かしいような、ホッとするような、そういう雰囲気が映画の隅々まで流れています。タイトルの「アマルコルド」とは「私は覚えている」という意味だそう。日常生活というのは、劇的なことは何もないけれど、あとになっても何となく「覚えている」ものなのでしょうね。とはいえ、フェリーニのセンスが炸裂するシーンも多いです。群衆を描くのが非常に上手い。あと色使い、フェリーニのカラー映画を観たのは初めてですが、とても素晴らしかったです。『甘い生活』や『8 1/2』に特徴的なマルチェロ・マストロヤンニや絶世の美女、都会の喧騒などは廃されていますが、これはこれでとてもよいです。

 本作はチネチッタという、ローマ郊外にある映画スタジオで撮影されました。他にもこの映画スタジオでは上にも挙げた『道』や『甘い生活』、『8 1/2』などのフェリーニ作品、『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー、1953年、118分)や前に紹介した『ギャング・オブ・ニューヨーク』(マーティン・スコセッシ、2002年、167分)、最近では『テルマエ・ロマエ』(武内英樹、2012年、108分)なども撮影されたようです。映画ファンなら一度は訪れたい地ですね。